~あの日を忘れない~ 茅野市諏訪郡歯科医師会災害対策令和6年3月6日

3月例会後に『過去の教訓からこれからの災害に備えよう』と題して、「3.11」に現地で東日本大震災を経験され、その後ボランティア活動、検視に参加された先生、災害発生後に県歯より派遣要請され検視活動を目的に現地に向かわれた先生、そして今年発生した能登半島地震のボランティア活動に参加された先生方から大災害により引き起こされた被害の状況とその後の対応について現地でのスライド、動画等を見ながら貴重な話を聞くことができました。

「3.11」研修医であった先生は講義中に地震が発生しました。経験のないあまりの揺れの強さに恐怖を覚えながら白衣姿のままで避難を行い、当時の仙台はとても寒かったと語り、被災直後にたまたま通じた携帯電話で自分の身の安全を母親に連絡することが出来て良かったと話しました。アパートも生活できる状況ではなく、被災を免れた友人宅で仲間と着の身着のままでの共同生活を行いながら歯科医師として救護、ボランティア活動、遺体の検視等の日々が続いたと当時を振り返っていました。次に県歯からの災害派遣要請を受け、ご遺体の検視に行かれた先生は地震で寸断された道を避けながら東京から仙台まで心地良いとはとても言えない自衛隊の護送車で現地入りました。そこでは底冷えするような壮大な食庫の床に、次から次へと運び込まれてくる白い布に包まれた無数のご遺体を目の当たりにしてこの検視作業に終わりがあるのだろうかと言葉を失ったと語っていただきました。

【黙々と検視作業を続けた二人の先生がともに経験した「最も過酷な瞬間」、それは家族が御遺体と対面するその瞬問であった】

この講話を通じて、災害がもたらす深刻な影響や被災者の苦境について改めて理解することができました。今後は、この講話で得た知識や教訓を活かし、災害に対する備えをさらに強化していきたいと思います。身近な人たちとの協力や情報の共有を通じて、安全な社会の実現に向けて積極的に取り組んでいきたいと思います。 (林佑樹記)

 


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